1997年 1998年 1998年 2004年 |
小学校2年生の終わりまで西宮市の鳴尾に住んでいました。自然が多く残っておりザリガニとりや昆虫採集によく行きました。小学校3年生のときに神戸の山のほうに引越ししました。雑木林や小川が近くにあり、外で遊ぶのが好きだった僕には恵まれた環境でした。近所の友達と毎日のように出かけては走り回っていたそうです。体操帽にいっぱいのおたまじゃくしを入れて、得意げに持って帰ってきて「飼いたい」と言ったときは しばらくしてから母親が川に戻しに行ったそうです。自然が大好きな子供だったと思います。けれども 歯科医師の父親を見ていたせいか 将来についてはこのころから漠然と“僕は歯科医師になる”と思っていました。
中学から親元を離れて岡山で寮生活を送っていました。何故わざわざそんな苦労をする道を選んだのか今でもわかりませんが、親元を離れて生活をするのが少しかっこいいと あこがれていたような気がします。この6年間の男ばかりの寮生活・集団生活で 親や兄弟と過ごすよりも長い時間を友人達と一緒に過ごすことになりました。かけがえのない仲間と知り合えたことが私の中学・高校時代の一番の幸せだと思っています。寮生活では食事の選り好み、好き嫌いは言ってられないので 食べ物の好き嫌いがなくなったこともよかったことの一つかもしれません。また家を離れて暮らすことにより 家族の大切さや温かさをあらためて感じることができたと思います。ただ学校の成績はあまり頑張っていたとはいえない状態でした。しかし高校3年生になってから やはり父親と同じ学校に行きたい!という気持ちが強くなり本格的な受験勉強を始めました。「時すでに遅し」と言われながらもラストスパートをかけて勉強し なんとか歯科大学に入学することができました。
大学に入学してからサッカー漬けの日々が始まりました。歯科大学なのですがサッカー部はなぜかバリバリの体育会系で週に6日は練習と試合をしていました。大好きなサッカーを思う存分していたわけですが たまには「どうして歯科大学に入学したというのに毎日毎日走ってばかりいるんだろう?筋肉トレーニングばっかりしているんだろう?」と愚痴をこぼしたくなるくらいハードな部活生活でした。でも基礎体力のアップ、基本の大切さ、仲間同士や先輩後輩との人間関係において大事なことを多く学びました。4年生のときにデンタル(歯学部ばかりの大会)で優勝を飾ることができ、学生生活での素晴らしい思い出を得ることができました。
私は本格的にインターン制度(研修医制度)が歯学部に導入されることになった年にちょうど卒業したので最初の1年間はインターンとして大学に残りました。しかし導入されたばかりの年で、まだ制度もしっかり確立していなかったため 歯科大学でのインターンの合間に先輩に紹介してもらった歯科医院に見習いとして見学に行かせてもらっていました。経験の少ない私は見学だけでもずいぶん迷惑をかけたことと思います。1年間のインターンを終えた私は、見学に行かせていただいた歯科医院のうちのひとつに就職させてもらいました。院長先生がとても勉強熱心な方で、さらに技術の研鑽にも努力されていたので 私自身とてもたくさんの事を学ばせてもらいました。臨床の基礎的なことからインプラントまでいろいろな事を教えてもらい、自分でも練習し、経験もさせてもらいました。現在 自分が院長の立場になってからわかったことも多くあります。院長、一緒に働いた仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいです。